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Margielaの魅力を語る

Margielaに携わった人々

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デザイナーはどんな人物だったのか。
「姿が見えないデザイナー」とまで称されたことがあるマルタン・マルジェラ。
そして影の立役者として活躍した女性、ジェニー メイレンスとは。
マルジェラ退任からジョン ガリアーノになるまでの期間を埋めたデザインチームの存在。
ガリアーノ手掛けるマルジェラは・・・。

謎に包まれた天才デザイナー

マルタン マルジェラ





マルタン・マルジェラ(男性)は1957年4月9日、ベルギーのヘンクに誕生しました。
ちなみに現在プラダのクリエイティブディレクターに就任したラフ シモンズとは同郷です。
1977年にアントワープ王立芸術学院のデザイン科へ入学し、デッサンを学びました。
卒業した後、3年ほどジャンポールゴルチエの元で修行をしていました。
1988年自身のブランド『Maison Martin Margiela』を共同経営者のジェニー メイレンスと立ち上げ、パリでコレクションを発表。

ブランドの始まり当初からタビブーツ、アーティザナルラインと数々の名品を生み出しました。
1994年にはレプリカライン、そして1997年〜2003年までエルメスのレディスプレタポルテデザイナーに就任。
2009年、ブランド20周年を迎えた翌年にマルタン マルジェラはメゾンをレンツォ ロッソグループのデザインチームに託し、ひっそりと退任したと言われています。

謎に包まれた人物像「死亡説が出るほど謎に包まれた人物」

彼の哲学に憧れ、リスペクトする人は沢山いました。
多くのデザイナーに影響を与えた人でしたが一方でとても謎に満ちた人物として業界では有名でした。
設立時はコレクションに顔を出していたそうですが、だんだん公の場へ顔を出すことはなくなり、彼の素顔を知る人は業界でもかなり少ないといいます。
ショーが終わった後、デザイナーはランウェイから顔を出すのがお決まりですが、マルジェラの場合はインタビューなどはFAXでの対応。
インタビュアによると、マルジェラから回答ではよく「私は」の一人称ではなく「私たちは(We)」を使っていたのが印象的だったそう。
ジェニー メイレンスを含め、常にチームで創作活動が行われていることを強調しています。
自分1人ではなく、グループワークにこだわっているところがマルジェラらしく、素晴らしいなと感じました。

エルメスでは「マルジェラ期」と呼ばれるほどの人気を誇る

1997年にマルジェラはエルメスのレディスプレタポルテデザイナーに就任しました。
脱モード・脱構築を唱えてきた彼が、ラグジュアリーブランドの頂点に君臨するエルメスのデザイナーに就任する事は、当時ファッション界に激震が走ったことでしょう。
エルメスファンの中ではマルジェラが手掛けた2003年までの期間を、「マルジェラ期」と呼びます。
エルメスの歴代デザイナーにはジャン ポール ゴルチエやクリストフ ルメールなど著名なデザイナーが数多くいますが、「マルジェラ期」と名のつくほど今も人気が衰えないのは彼だけかもしれません。
マルジェラ期のエルメスは特に人気があり、数々の名作を世に輩出したことでも知られます。
例えば・・・ドゥブルトゥール。ドゥブルトゥールはフランス語で二重巻き。
その名の通り腕に巻きつけるバンド部分が2重になっています。
今話題になっているAppleとHERMESのブレスレットもこのデザインから生まれています。





Margielaを導いたジェニー メイレンス



彼女なしではブランドは今日まで至らなかったかもしれません。
マルジェラ同様、メイレンスもインタビューや写真撮影を拒否することが多く、素性はあまり知られていませんが、影の立役者であり、マルジェラのファンなら当然認知されている重要なポジションの人でした。
元々、メイレンスはマルジェラがいまだアントワープ王立大学で学生をしていたときから、すでにブリュッセルに自身のセレクトショップを持っていました。
当時パリに出てきたばかりのヨウジヤマモトをいち早く買い付け、ベルギーのファッション界で既にその名を轟かせていたメイレンス。
クリエイションの質を見極める優れたインサイトとビジネススキルを持つ彼女に、マルジェラが、「私のブランドを立ちあげたいから、クリエイティブチームのひとりになってくれ」と懇願したことがブランドの始まりであったと言われています。
前話で上がったブランドの白タグ。その話を提案したのが彼女です。
マルジェラ自身は経営よりデザインに集中したかったので、メイレンスが一手に引き受けていました。
2002年にオンリーザブレイブの創業者レンツォ ロッソに買収され、2003年に彼女は引退。
そして2017年7月1日、彼女は73歳でこの世を去りました。
マルジェラを語るにしては、彼女なしでは語る事ができない偉大な存在感と貢献度は、永遠に語り継がれるでしょう。





陰で支え続けたチームの存在

We Margiela

2008年にマルジェラ自身は退任したその後はデザインチームがデザインを担当していたことはご存じでしょうか。
マルジェラは、クリエイティブディレクターと呼ばれる代表者が不在な状態で5年以上続きました。
通常だとあまりないことですが、チームで活動していたこのブランドだからこそ、長い間続けられたのではないかと思います。

ちょっとした余談ですが、マルジェラのスタッフは皆さん白衣ですよね。
これには理由があり、白衣はクチュール(フランス語で洋服を仕立てる人のこと)の制服であったことからクチュールに対する敬意が込められています。
そして販売員も同じようにクリエイティブチームの一員であるという2つの意味から、みなさん白衣を着用しているそう。
こういったところにも「We Margiela」の精神が伺えます。
ちなみに、この白衣のデザインはコレクションでアウター展開されているときもしばしば。





待望のクリエイティブディレクター

ジョン ガリアーノ

ジョン ガリアーノによる、新しいメゾンの歴史が2014年ついに幕を開けました。
クリスチャンディオールを退任後、沈黙の3年間を過ごしてジョン ガリアーノ。当時、マルジェラのヘッドデザイナーは誰が就くのかと話題になっていました。
ジョン ガリアーノが就任したことは、多くのファッショニスタや、ファッションエディターも驚きを隠せなかったはずです。
自身がアイコンでもあった、ジョン ガリアーノ。ブランドタグにさえブランド名を入れない、マルタン・マルジェラ。
対称的な2人だなぁと私自身も当時感じた記憶がありますし、ガリアーノは白衣を着るのかな・・・とまで思っていました。(とても素敵に着こなされています)
賛否両論が飛び交う中、2015年にガリアーノが手掛けたマルジェラのコレクションが公開。
マルジェラらしさとガリアーノらしさが両方の主張が伺えるコレクション。
明らかに方向性の違うデザイナーが、共同で一つのブランドを作るような絶妙な融合を感じるコレクションとなりました。
ジョン ガリアーノが天才デザイナーであることは、かつてから世界中で認められていましたが、復活を堂々と表明したコレクションでした。
そしてブランド名をメゾン マルジェラに改めました。

その後彼は次々とヒット商品を生み出し、売り上げは倍増。アクセサリーの売り上げは全体の60%を占めるようになりました。
2019年には契約更新が決定し、数年間は続投するだろうと言われています。
そのヒット商品とは・・・・また次回に続きます。



【出典・参考文献】
https://www.wwdjapan.com/articles/970133
https://www.fashion-headline.com/
https://h-stylebook.com/
https://www.instagram.com/jgalliano/
https://wemargiela.espace-sarou.com/
https://fashionpost.jp/
https://hypebeast.com/jp
https://www.tjapan.jp/

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